大判例

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東京高等裁判所 昭和37年(ネ)415号 判決 1965年2月10日

控訴人(原告)

塩野幸雄

他一名

代理人

永津勝蔵

被控訴人(被告)

京王帝都電鉄株式会社

代表者

井上定雄

代理人

牧野賢弥

主文

一、原判決を取消す。

二、被控訴人は、控訴人塩野幸雄に対し金二三万円、及び控訴人塩野幸子に対し金二〇万円並びに右各金員に対する昭和三四年六月二六日以降完済に至るまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

三、控訴人等のその余の請求を棄却する。

四、訴訟費用は第一、二審を通じこれを五分し、その四を被控訴人の、その余を控訴人等の各負担とする。

事実

控訴人等代理人は「原判決を取消す。被控訴人は控訴人塩野幸雄に対し金二九万五、九九〇円、同塩野幸子に対し金二五万円及び右各金員に対する昭和三四年六月二六日以降完済まで年五分の割合による金員を各支払え、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用、認否<省略>

理由

一控訴人等は夫婦であつてその長女由美子(昭和三一年四月二四日生)が控訴人等の主張どおり被控訴会社経営の井之頭線電車に衝突され死亡したこと、本件事故現場は井之頭線東大前駅から三四二メートル、神泉駅から三八七メートルに位置する踏切等警手の配置、遮断機及び警報機の設置等保安設備のない踏切であること、本件事故当時における被控訴会社の定めた上り電車の本件踏切通過の際の運転速度(表定速度)が時速五二キロメートル訴外運転士村上正の業務した本件事故電車がこれを下廻る時速五〇キロメートルで本件踏切に差しかかつたものであること、本件踏切における上り電車の右表定速度は被控訴会社が監督官庁より認可された最大時速六〇キロメートルの範囲内で定めたものでこれより電車のダイヤが編成され且つ右ダイヤもまた監督官庁より認可されたものであること及び本件踏切については被控訴会社が地方鉄道運転規則に基き警笛吹鳴を設置してすべての上り電車に警笛吹鳴を励行させ本件電車も右規則どおり警笛を吹鳴したことは当事者間に争いがない。

二そこで本件事故の原因について判断する。

(一)  <証拠>によると、被控訴会社の電車運転手訴外村上正は上り二三八号列車を運転し時速五〇キロメートルで本件踏切西方約五〇メートルの地点(第七号鉄柱付近)に差しかかつたとき、本件踏切を北側より横断しようとしている前記被害者を発見し、直ちに急制動をかけたが間に合ず、同所において同人に電車の左前部付近を衝突させ、前示の如く死亡させたものであることが認められる。

(二)  <証拠>を綜合すると、本件踏切を通過しようとする上り電車(東大前駅より神泉駅へ向う電車)は、前示表定速度五二キロメートルで進行する限り右踏切上にある歩行者を、その発見可能な最長距離即ち同踏切を南側から渡ろうとする通行人の場合は約八〇メートル、北側から渡ろうとする通行人の場合は約五〇メートルの距離(通行人側からみてもまた同じである)において発見し直ちに急停車の処置をとつても当該踏切を通過しなければ停車せず従つて通行人がすぐさま退避しない限りは衝突事故発生の危険は極めて大きいものと認められる(ちなみに後者の場合は列車は通行人を発見してより僅か三・六秒で踏切に到達する)。なお本件踏切北側より神泉駅方面に対する展望も不良であることが認められる。右事実の詳細は原判決一一丁裏三行目「本件踏切は」から一二丁表八行目「不可能であつて」まで及び同丁表一一行目「特速五〇粁で」より同丁裹二行目「可能であつて」までと同一であるのでこれをここに引用する(但し一一丁裏八行目「本件踏切」の次に南側の二字を挿入し、同丁一二行目「最初本件踏切」より同一二丁二行目「できるけれども」までを削除する)

(三)  してみれば本件電車の運転者は被控訴会社の指定どおり電車を運転し且つ踏切を見とおせる個所に至つて被害者を発見するや直ちに急停車の処置をとつているのであるから右運転者には特段の過失はないものと認め得べく、本件事故の原因については専ら被控訴会社の電車運行のあり方及び踏切の安全設備の欠陥にこれを求むべきである、

(四)  然るところ控訴人等は、被控訴会社が本件踏切に保全設備を設置せずに漫然前記表定速度で電車を運行せしめた過失により本件事故を惹起したものであると主張するのに対し被控訴会社は、本件踏切は遮断機や警報機等の保安設備を設置すべき踏切には該当せず、且前示表定速度は監督官庁より認可された速度の範囲内であり然もそのダイヤは右同様認可を受けたものであるから、高速度交通機関として公共的使命を負う被控訴会社としては右速度に従つて電車を運行するのは当然であり何ら過失は存しない、と主張して争う。

よつて按ずるに<証拠>を綜合すると、本件事故当時における本件踏切の換算交通量は一日七〇〇人、同列車回数は一日五〇四回であつたこと、及び本件事故以前本件踏切では電車と通行人との接触事故が数回であつたこと従つてこれに前示踏切の見通し距離の関係を合わせ判断すると本件踏切は昭和二九年四月二七日付運輸省鉄道監督局長通達(鉄監第三八四号及び同号の二)にいう第四種踏切に該当し、地方鉄道建設規程第二一条第三項に保安設備を設置しなければならないとする「交通ひんぱんにして展望不良なる踏切道」にはあたらないことが認められる。なおこの詳細については原判決一四丁裏二行目「本件踏切における」より同一五丁表五行目まで及び同一五丁裏六行目「地方鉄道の」より同一八丁一行目までと同一であるのでこれを引用する。また、本件踏切における上り電車の表定速度は監督官庁より認可を受けた最大速度の範囲内でこれにより電車のダイヤが編成され且つ右ダイヤも監督官庁の認可を受けている(<証拠>によれば電車の運行及び踏切の安全を考慮に入れて認可されていることが認められる)ことは前示当事者間に争いのない事実である。

してみれば被控訴会社が本件踏切に保安設備を設置せず且つ前記表定速度によつて電車を運行したこと自体に義務違反があるものとするのは相当ではなく、従つてこの点において被控訴会社に過失があつたとすることはできないから本件事故につき被控訴会社に過失があるとする控訴人等の主張は理由がない。

四然らば本件踏切に保安設備がなかつたことに対する被控訴会社の責任はどうであろうか。

思うに踏切は軌道施設の一つであつて列車の運行と道路交通の安全を確保することを目的として設けられた土地の工作物であることは多言を要しない。そして踏切の保安設備は踏切の右機能を完全ならしめるため付置せられるところの踏切と一体をなす工作物である。従つてもし踏切に安全設備がないために列車運行と道路交通の安全が全うされないような場合はその踏切は本来の機能を果さない不完全なものであるから保安設備を欠いていることはとりもなおさず踏切即ち土地工作物に瑕疵があることになるのである。そして右の理は保安設備を設置していないことがその所有者の過失でない場合においても異るところはない、なぜなら民法七一七条にいう土地工作物の設置又は保存の瑕疵とはその存在が所有者の過失に起因すると否とを問わないからである。そこで右の点から本件をみるに、前示のとおり本件踏切は遮断機、警報機等列車の接近を知らせる設備がなく、且つ踏切の北側から横断しようとする歩行者からは上り電車は五〇メートルの近距離に至つて、南側から横断しようとする歩行者からは同じく八〇メートルの距離に至つて始めて認識し得るにすぎず然も北側からは下り電車の進行してくる神泉駅方面に対する展望も著しく困難であること、そして上り電車は前記表定速度に従い時速五二キロメートルで本件踏切を通過しようとするのであるから右踏切上にある歩行者をその発見可能な最長距離において発見し直ちに急停車の措置をとつても電車が停止するのは踏切を越える地点であるから横断中の歩行者との接触の危険は極めて大きく、本件事故までにも数度に及ぶ電車と通行人との接触事故があつたこと等を考慮すれば、本件踏切の通行は決して安全ということはできず、少くとも警報機を設置するのでなければ踏切としての本来の機能を全うするものとは認め難いところである。従つて本件踏切に警報機等の保安設備を欠いていたことは結局被控訴会社所有の土地工作物の設置に瑕疵があつたものと認めるのを相当とする。

そして本件事故の状況から考えると、もし本件踏切に右の如き保安設備が設置されていたならば前示被害者が電車の接近するにもかかわらず敢て踏切を横断しこれと接触するようなことはしなかつたものと認められる(幼児でも満三才になれば踏切における接触事故の危険は認識し得るものと認められる)から、本件事故は被控訴会社の占有する土地の工作物の設置に瑕疵があつたことにより起つたものと認め得べく、よつて被控訴会社は控訴人等に対し同人等がその長女由美子の死亡により受けた物質的、精神的損害を賠償すべき義務があるものというべきである。

なお、行政監督上の基準から本件踏切に保安設備の設置が義務づけられていないことは前記のとおりであるが、右の基準は監督官庁がその行政監督上の立場から定めた一般的な基準にすぎず、軌道運送業者の民事責任の限度を定めた法規範ではないから右基準に従えば当然民法七一七条による責任をも免がれるというものではない。

五そこで進んで賠償せしむべき損害額について判断する。≪以下省略≫

以上によつて、被控訴会社は控訴人等に対し夫々右金員とこれに対する本件訴状の送達された日の翌日たること記録上明らかな昭和三四年六月二六日以降完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるものというべく、従つて控訴人等の本訴請求は右の限度で正当としてこれを認容しその余は失当として棄却すべきであるから右と結論を異にする原判決はこれを取消し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第九二条、第九三条を適用し主文のとおり判決する。(裁判長裁判官加藤隆司 裁判官小山俊彦 安国種彦)

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